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東京地方裁判所 昭和61年(ワ)1872号 判決 1990年10月23日

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

理由

第一  請求

被告は、原告甲野一郎に対し金一億三〇六七万四九八七円、同甲野太郎及び同甲野花子に対し各金一〇〇〇万円並びに右各金員に対する昭和六一年三月二八日から支払済みまで年五分の割合による金員を各支払え。

第二  事案の概要

原告甲野一郎(当時五歳)は昭和五六年一二月二七日、熱湯により重度熱傷を負い、被告開設病院に入院して治療を受け、救命されたものの、意識障害が回復せず、一種一級の身体障害者となつた。

本件は、同原告及びその両親である原告甲野太郎及び同甲野花子から被告に対し、右原告甲野一郎に意識障害の後遺症が残つたのは、同病院の担当医師らの診療上の過失によるものであるとして、診療契約上の債務不履行及び不法行為を理由とする損害賠償を請求している事案である。

一  争いのない事実

1  当事者

原告甲野一郎(昭和五一年六月二七日生、以下「原告一郎」という。)は後記のとおり熱傷を負い、東京女子医科大学病院(以下「被告病院」という。)に入院して治療を受けた患者であり、原告甲野太郎はその父、同甲野花子は母(以下それぞれ「原告太郎」、「原告花子」という。)であり、被告は被告病院を開設しているものである。

2  熱傷事故の発生

原告一郎は、昭和五六年一二月二七日午後五時過ぎ、隣家の、祖母乙山松子方においてガスストーブにかけてあつたヤカンを倒して、熱湯により臀部を中心とした全身の約三〇パーセントに熱傷を受け、午後七時二〇分ないし三〇分ころ救急車で被告病院に搬送された。

3  診療契約の締結

間もなく原告太郎及び同花子は被告との間で、原告一郎の本件熱傷治療に関する診療契約を締結し、原告一郎は被告病院の形成外科に入院した。

4  入院後の症状の推移と診療経過

(一) 初診時の状況

昭和五六年一二月二七日初診時における原告一郎の熱傷状態は、前胸部、両手、両前腕、両下肢に熱傷が存し、深達性2度熱傷が全体表面積の二八パーセント、浅在性2度熱傷が一ないし二パーセント、合計三〇パーセントの重症熱傷であつて、午後九時の時点において、原告一郎の血圧は最高一二八、最低九〇ミリメートルHg、脈拍毎分一一二、体温三五・八度で、軽度の疼痛、悪寒がみられた。

(二) 形成外科における診療経過

(1) 昭和五六年一二月二八日(受傷後一日)

原告一郎の入院時の体温は三五・八度であつたが、その後徐々に上昇し始め、昭和五六年一二月二八日午後五時以降には三七度台に、午後八時には三七・六度になつた。

被告病院の担当医師(以下「被告医師」という。)は、熱傷感染に備えてセフェム系抗生物質ケフリンの投与を開始した。

(2) 同月二九日(受傷後二日)

体温はさらに上昇して午後六時三〇分には四〇度にまで達し、白血球数は前日の二万七九〇〇から一万三四〇〇に減少していた。

被告医師は、ケフリンのほかアミノグリコシド系抗生物質トブラシンの投与を開始し、また栄養補給のため鼻腔から栄養チューブを挿入し、栄養剤を投与した。

(3) 同月三〇日(受傷後三日)

体温は三八度台が続き、午前六時には三九・四度にまで上昇した。

被告医師は、ケフリン、トブラシンの投与を増量し、また、熱傷創部にゲーベンクリームを使用した。

(4)同月三一日(受傷後四日)

体温は三七度から三九度の間で、午後三時三〇分には三九・七度まで上昇した。午後一〇時一〇分には原告一郎は顔色不良になり、唇もチアノーゼ気味で呼吸も浅くなつた。

ヘモグロビン値が貧血状態を示したため、被告医師は輸血を開始して、全身状態の改善を図り、熱傷感染創に罹患した疑いを持つたことから、これに対処するため、昭和五七年一月二日に植皮手術をすることを決定した。

(5) 昭和五七年一月一日(受傷後五日)

原告一郎は、悪寒を何度も訴え、体温は三九度前後で、左大腿部受傷部位周辺の正常組織の炎症が前日よりさらに拡大増悪し、午後三時には緑褐色の下痢便となつた。

(6) 同月二日(受傷後六日)

体温は三七度から三九度の間であつた。

原告一郎は、午前九時から同一二時過ぎまでの間、デブリドマン(熱傷創部の焼痂組織の除去手術)及び原告太郎の皮膚を移植する植与手術を受けた。手術時の熱傷創部の状態は、左大腿前面から外側及び後面にかけて、右大腿後面、右前腕に約八パーセントの範囲で深い熱傷が存在し、創周辺の皮膚は一部発赤し、熱傷感染創状態を示していた。

(7) 同月三日(受傷後七日)

右手術は成功したが、原告一郎は朝から元気がなく、体温は三八度前後であつた。

(8) 同月四日(受傷後八日)

原告一郎は下痢が続き、早朝から悪寒がひどく、体温は午後八時には四〇・五度を記録し、解熱剤を投与してもせいぜい三九度台にしかならなかつた。

(9) 同月五日(受傷後九日)

被告医師は、熱傷創の細菌検査を実施したが、創部の培養結果は陰性であつた。体温は三九・五度と高かつたが、午後からは三七度台に下がつた。早朝から排尿量に漸減化傾向がみられ、点滴による輸液量を増加させ、ラシックス、ルネトロン等の利尿剤を使用しても乏尿状態の改善がみられず、急性腎不全の発生が疑われるようになつたうえ、呼吸も浅くなつた。

原告一郎は、午後一〇時三〇分にはチアノーゼ症状を示すようになつたので、被告医師は心不全、腎不全、呼吸器不全等の多臓器不全を予想し、これに対処するため、酸素吸入を開始し、午後一一時二〇分、原告一郎を集中治療室(以下「I・C・U」という。)に移転した。

(10) 同月六日(受傷後一〇日)

原告一郎の乏尿状態は続き、被告医師は午前九時一〇分に気管内にチューブを挿管し、気道の確保を図つた。また、原告一郎の血小板数が五万二〇〇〇立方メートルに著減し、播種性血管内凝固症(DIC)の併発が疑われたので、その治療のため被告医師は、ヘパリン溶液五〇〇〇単位及び血小板輸血を開始した。

同日夕方、原告花子がI・C・Uに行き、原告一郎に面会したが、酸素マスクを着けており、ほとんど反応がなかつた。

(11) 同月七日(受傷後一一日)

午前九時一〇分、原告一郎の心拍数が著減し心停止に近い状態に至つたが、心臓補助マッサージ治療等がなされた結果、同九時三〇分ころまでには全身に改善状態がみられるようになつた。しかし、原告一郎の意識は戻らず、呼名反応もなく、瞳孔も二ミリメートルに拡大したままになつた。

(12) 同月八日(受傷後一二日)

被告医師は、脳外科の高橋医師に診察を依頼し、「患者の意識は半昏睡、神経学的巣状欠損はない。眼底所見を含めて頭蓋内圧の亢進が孝えられる。」との返答を得た。

(13) 同月一三日(受傷後一七日)

C・Tスキャン検査施行の結果、左側頭葉に一・五センチくらいの円形の出血巣が認められた。この日、原告一郎の酸素マスクがとれるようになつたが、依然同人の意識は回復しなかつた。

(14) 同月二〇日(受傷後二四日)

原告一郎の血液中の菌検査(血液培養検査)が実施された。

(15) 同年二月八日

一月二日に施行された植皮手術で移植した皮膚がはがれてきたので、被告医師は、右前腕、両大腿部に残存する熱傷創部に対して、原告一郎自身の臀部から採取した皮膚を移植する植皮手術をしたが、依然として原告一郎の意識は回復しないままであつた。

(16) 同年三月三日

右手術後も原告一郎の意識は回復せず、痰がひどくつまるようになり、呼吸も苦しくなつてきたので、被告医師は気管の切開手術をした。同手術直後はのどの穴からの出血がひどく、また、原告一郎は以前より呼吸が荒くなつたので、睡眠薬で眠らされていた。

(17) 同月二四日

原告一郎はI・C・Uから一般病室に転室したが、意識は回復せず、目は見えていなかつた。

I・C・U退室後、原告一郎の硬直発作に対し、被告医師は、鎮痛剤を投与するなどし、その寛解を図る措置をとり、また、意識障害下での筋力減退を予防する目的で、理学療法士による週五回のリハビリテーションを行うようになつた。

(三) 小児科への転科及びその後の診療経過

(1) 四月以降も意識障害や硬直発作に著明な改善はみられなかつたが、同月一八日、原告一郎は小児科に転科し、内海医師が主治医となつた。

(2) その後の状況

同年八月九日から原告一郎は口から物を食べる練習を始め、同月一一日にはゼリー三〇グラムも食ベられるようになり、身体の硬直も部分的に軽減したが、意識障害の回復は見込めず、身体障害者手帳(一種一級)が交付されている。

二  争点

本件の争点は、原告一郎に前記意識障害の後遺症が残つた点に関し、被告医師の診療の適否(診療契約上の債務不履行の存否及び不法行為の要件としての過失の有無)である。

第三  争点に対する判断

一  原告一郎の感染症(敗血症)等に対する診療の適否

1  当事者間に争いのない前記第二の一4記載の事実(入院後の症状の推移と診療経過)及び《証拠略》によれば、次の各事実を認めることができる。

(一) 原告一郎が負つた熱傷は、体表面積の約三〇パーセントに及ぶ深達性2度、浅在性2度の重症熱傷であるが、このような重症熱傷を負つた場合には、受傷後四八時間くらいまでの間は血管の透過性が亢進し、血管内の血漿成分(水分)が血管外に流失して循環血液量が減少し、血圧の低下を招き、その結果心臓、腎臓、肺臓、肝臓、脳といつた重要臓器に行く血液量が減少し、臓器不全を起こしてショック死(熱傷ショック)に至る可能性が高く、特に原告一郎のような幼小児(満五歳)がこのような熱傷を負つた場合には成人と比ベて血液中の水分が多いため重症ショックに至る危険性が高い。したがつて、重症熱傷の治療としては、熱傷ショックを回避するためにまず輸液療法を施行して、循環系統の変動を防止する必要がある。また、熱傷ショックを回避できたとしても、本件のような深達性2度の熱傷においては、熱傷創部からの細菌感染の危険性が高いので、創部の局所管理に力を入れるとともに、全身管理として、熱傷創部からの感染予防のために抗生物質の静脈注射をし、体の衰弱を防止して感染菌に対する抵抗力を増強するための栄養補給等の措置を講ずることが必要であり、より根本的には時期をみて細菌の増殖しやすい熱傷創部を除去し、植皮手術を施行することが、熱傷感染症を防止するためには必要である。

(二) 被告医師は、昭和五六年一二月二七日原告一郎が入院した直後、点滴静脈注射で乳酸化リンゲル液を投与し、局所管理として熱傷創部をヒビテンで消毒し、ワセリン基剤の抗生物質含有軟膏を創面に塗布し、ほう酸湿布の処理をしたうえ、熱傷ショックを回避するために輸液を開始し、公式どおりに輸液管理を実施し、受傷後二日の同月二九日からは、感染に対する抵抗力を増強するため原告一郎の鼻腔からチューブを捜入し、栄養剤を投与して全身管理に努め、受傷後三日目の同月三〇日には熱傷創部の感染が疑われたので、感染を抑止する目的でシルバーサルファダイアジンクリーム(製品名ゲーベンクリーム)を塗布したほか、その後もマファテートクリーム、ポリミキシンBクリーム等、滅菌効果を有するクリームを感染防止目的で創部に塗布した。

(三) また、被告医師は細菌感染を予想してこれに対処するため、次のとおり抗生物質の投与を実施した。

(1) 被告医師は、原告一郎の入院当初から熱傷創部からの細菌による感染の可能性を予期して、適応する範囲の広い抗生物質を予防的に投与することにし、同年一二月二八日から、熱傷の際に最も感染の可能性が高いと考えられているグラム陽性菌に効果があるセフェム系抗生物質のケフリン(CET)を投与した。

(2) 体温が四〇度に上昇し、創部感染が疑われ始めた同月三〇日からは、グラム陽性菌と同様に熱傷感染の原因菌となる可能性の高いグラム陰性菌に対しても効果があるアミノグリコシド系抗生物質トブラシン(TOB)を合わせて投与した。

(3) しかし、熱が下がらないため、昭和五七年一月二日には、前記各抗生物質を増加したうえ、グラム陰性菌に対して効果のある抗生物質ゼオペン(CBーPC)を追加投与した(投与期間は同月一三日まで)。

(4) 同月四日にはパンスポリン(CTM)を投与し、多臓器不全が疑われた同月六日以降は、腎臓に傷害を与えないようにゼオペン単剤の投与に切り替えた。

(5) それ以後の投与についても抗生物質の選択にあたり副作用の少ないものを選び、また長期使用による耐性菌発生を防ぐため、抗生物質の変更に意を用いた。

2  以上に認定した原告一郎の症状の推移及びこれに対する被告医師の診療の経過と内容によれば、被告医師による原告一郎の感染症(敗血症)等に対する診療は適切なものであつたと認められる。

3  右の点に関連して、被告医師の診療に過失があつたとする原告らの主張について検討する。

(一) 原告らは、被告医師が原告一郎の熱傷創部を清潔に保たなかつたとか、輸液をしなかつたとかと主張するが、右認定の事実に照らして、そのような事実があつたと認めることはできない。

(二) また、原告らは、被告医師には、原告一郎の症状からみて、遅くとも昭和五六年一二月三一日の時点において、熱傷創部及び血液の細菌検査をして感染菌を同定し、これに適した抗生物質を集中的に投与すべきであつたのに、これを怠り漫然と多種類の抗生物質を投与したため、その副作用により原告一郎をして抵抗力を失わしめ、あるいは抗生物質の効果が上がらないまま敗血症の症状を悪化させ、心停止等の症状を惹起させた過失があつたと主張する。

《証拠略》によれば、一般的には、感染症に対する抗生物質の選択に当たつては、原因菌を同定してこれに適応した薬剤を選択投与するのが最適であるとされているのであるが被告医師は原告一郎に対し、原因菌を同定するための創部及び血液の細菌検査をしないまま、前記認定のとおり多種類の抗生物質を投与したことがうかがわれる(なお、被告医師は、昭和五七年一月五日熱傷創部の細菌検査を実施し、同月二〇日血液培養検査を実施している。)。

しかし、《証拠略》によれば、<1> 原告一郎入院時には被告病院の細菌検査室は年末年始休暇に入つており、速やかに細菌検査を行えるという状態になかつたこと、<2> 細菌検査は創部、血液を問わず培養によるが、感染菌が常に検出されるとは限らないし、殊に血中の菌は第五病日ころまでは検出されないのが普通であること、したがつて、感染後五日を経過していない昭和五六年一二月三一日ころに血液培養をすることの有効性にはそもそも疑問があること、<3> 血液培養をするためには、抗生物質の投与を一二時間くらい中止したうえ、定期的に二〇CCの血液を原告一郎から採取することが必要であるが、そのようなことは当時の原告一郎の容体からはきわめて困難であつたこと、<4> 血液培養の結果が判明するまでには最低一週間くらいを要し、このような検査結果を待つことは本件のような緊急の場には適さないこと、<5> 仮に、菌が同定され、それに効果的とされる抗生物質を投与したからといつて、直ちに効果が上がるとは限らないこと等の事情が認められ、これらの事情に照らせば、本件において右のとおり被告医師が原告一郎に対し、細菌検査をしないまま感染症の発生を予期し、その対策として、通常熱傷感染の原因菌として予想される細菌に対して効果があるとされているケフリン、トブラシン、ゼオペン等の抗生物質を全身投与したことは、臨床の現場において治療に当たる医師の裁量の範囲内に属することであつて、適切な治療方法であつたと認めることができ、原告らの主張は採用し難い さらに、同じく《証拠略》によると、原告一郎の熱型は、昭和五七年一月四日に四〇・五度まで上昇したものの、同月五日には三六度台まで一旦下降しており、その後一月六日以降は高くとも三八・一度になつた程度で、概ね三六度台から三七度台の体温が維持されていることが認められるうえ、同月五日に実施された原告一郎の熱傷創部の細菌検査の結果は陰性であつたことが認められ、これらの点に照らすと被告医師の投与した抗生物質が効果を上げていたことが裏付けられており、この点からも原告らの右主張は理由がない。

(三) さらに、原告らは被告医師によるデブリドマン及び植皮手術の実施時期が遅きに失したため、原告一郎の敗血症が進行したと主張する。

しかし、《証拠略》によれば、被告医師が右手術を決定した昭和五六年一二月三一日の時点において、原告一郎に貧血、白血球の減少(一ミリ立方メートル当たり三六〇〇個)、発熱、低蛋白等が見られ、その改善をしてからでないと手術による侵襲に耐えられないと判断したため、同手術の実施を昭和五七年一月二日まで遅らせたものであることが認められ、右の判断は医師の合理的な裁量の範囲内に属する判断であつたと認められ、原告らの主張は採用し難い(また、昭和五六年一二月三一日以前の同手術の実施可能性についても受傷直後のショック期の手術実施はショックを増強する危険性があり、困難であつたと認められる。)。

(四) 原告らは、被告医師が原告一郎の尿路感染を防止しなかつた点に過失があると主張するが、原告一郎において尿路感染が発生したと認めるに足りる証拠はないから、右主張は前提を欠き、失当である。

二  心不全等に対する診療の適否

《証拠略》によれば、原告一郎は、昭和五七年一月七日午前九時一〇分ころ、同原告に心不全のために生じた心停止(アレスト)を原因として、虚血及び低酸素血症が発生し、その結果として、大脳動脈に起こつた虚血により脳の神経細胞組織が死滅し、脳が不可逆性の損傷を受けるという低酸素性脳症に陥り、前記意識障害の後遺症を生ずるに至つたこと、すなわち原告一郎の前記意識障害は結局同原告の心不全によつて生じた低酸素性脳症に起因する可能性が高いことが認められる。

そこで、右の点に関する被告医師による診療の適否について検討する。

1(一)  前記第二の一4記載の事実(入院後の症状の推移と診療経過)並びに《証拠略》によれば、次のとおりの診療経過を認めることができる。

被告医師は、昭和五六年一二月二七日原告一郎入院直後から熱傷ショックに備え、輸液治療を行い、細菌に対する抵抗力を増強するため栄養補剤を投与するなど全身管理に努めていたが、昭和五七年一月五日から、原告一郎の排尿量が減少し、ラシックス、ルネトロン等の利尿剤を使用しても乏尿状態の改善はみられず、急性腎不全の症状を呈するようになり、心臓、肺臓、肝臓等にも機能障害が認められ、多臓器不全の症状を呈するようになつたことや、チアノーゼが発生したため、原告一郎に対し酸素吸入を開始したうえ、I・C・Uに入室させた。しかし、原告一郎の症状は改善されないまま、同月六日には腎不全、心不全の症状がさらに進み、また、肺の機能が低下し始めたので、人工呼吸装置を装着し、気管内にチューブを挿管し、直接肺に酸素を送り込んだ。さらに、DICの併発も疑われるようになつたため、その治療としてヘパリン溶液及び血小板輸血を開始した。同月七日午前九時一〇分ころには、同原告に心停止状態(アレスト)が発生したため、被告医師は心臓補助マッサージ治療等を行つた結果、原告一郎の症状は同九時三〇分ころには改善され窮地を脱した。

(二)  右認定の治療経過によれば、原告一郎の心不全等に対する被告医師の右診療内容は適切なものであつたと認めることができる。

2  右の点に関連して、原告らは、原告一郎に昭和五七年一月七日午前一時ころから期外収縮等の異常が発生していたのに、被告医師はこれを見過ごしたまま、心停止の状態を五分間以上も放置していたため、原告一郎の脳障害の症状が悪化したとか、被告医師は心臓障害等のある場合には特に慎重に投与すべきものとされているアルブミンを漫然と投与したために原告一郎の症状が悪化したと主張するので、これについて検討する。

《証拠略》によれば、昭和五七年一月七日午前九時一〇分ころ、原告一郎は心停止(アレスト)ないしこれにきわめて近い状態となり、全身にチアノーゼが発生していたことが認められる。

しかし、同年一月七日午前一時ころから原告一郎の心臓に期外収縮等の異常が発生していたと認めるに足りる証拠はない。

そして、《証拠略》によれば、原告一郎は既に同月五日ころから軽度のチアノーゼの傾向がみられ、いつ急変しても不自然でない状況であつたこと、重症熱傷による多臓器不全の症状が進んでいたから二、三分間のうちに全身状態が急変することも考えられる容体であつたこと、またI・C・U内では患者の心臓に急変があればブザーが鳴るような装置があること等の事実が認められ、右事実によれば、被告医師又は看護婦がI・C・U内にいる原告一郎の状態に十分な注意を払わなかつたとか、前記心停止状態に気付かなかつたと認めることはできない。したがつて、原告らの右前段の主張は理由がない。

また、原告ら主張の時刻に被告医師が原告一郎に対し、アルブミンの静脈注射をしたことは《証拠略》により明らかであるが、これにより心停止及びその結果たる低酸素性脳症を助長したと認めるに足りる証拠はないので、原告らの右後段の主張も理由がない。

三  脳内出血に対する診療の適否

原告らは、原告一郎の意識障害が脳内出血によつて発生したものであり、被告医師には脳内出血の疑われた昭和五七年一月八日直ちにC・Tスキャン又は髄液検査を実施すべき義務があつたのに、これを怠つた過失があるとか、脳内出血には禁忌とされているウロキナーゼ、アデホス等の薬剤を投与した過失があると主張するので、この点について検討する。

1  《証拠略》によれば、同日原告一郎に脳内出血が生じていた事実は認められるが、同人の意識障害は前記のとおり虚血及び低酸素血症による脳損傷に由来するものと認められ、右脳内出血により発生したものとは認められないから、脳内出血により意識障害が発生したとの原告らの右主張は失当である。

2  また、仮に脳内出血が原告一郎の意識障害の原因であるとしても、《証拠略》によれば、昭和五七年一月八日被告医師はC・Tスキャンの実施を見合せたが、その理由は、C・Tスキャンは別の場所に設置されており、実施のためには患者を同所まで移動させる必要があつたところ、原告一郎の容体が重篤な状態にあり、人工呼吸器を装着していることなどからその移動が危険であつたので、脳外科に依頼して脳波検査を実施することにして(I・C・U内でのポータブル脳波検査装置で実施)、C・Tスキャンの実施は見合せたためであることが認められる。また同日被告医師は髄液検査も実施しなかつたが、その理由は、原告一郎に脳梗塞、脳内出血が疑われ、脳圧亢進が考えられたことから、同検査をすれば脳ヘルニアにより死亡する危険性のあることを考慮したためであることが認められる。したがつて、被告医師が、右のとおりC・Tスキャン及び髄液検査の実施を見合わせたことは、当時の原告一郎の容体を考慮したもので、適切なものであつたと認めることができ、この点について被告医師に過失があつたとは認め難い。

3  なお、《証拠略》によれば、ウロキナーゼ、アデホスの使用は脳内出血が発生している場合には禁忌であるとされており、また、高橋医師の返信には、右半球に棘波(異常波型)が頻発し、一般的には脳梗塞が最も考えられるが、DICであることから脳内出血も考えられる旨の記載があるが、右返信の記載は脳内出血については可能性を指摘するにとどまつており、その要点は「脳梗塞が最も考えられる」との点にあつたのであるから、被告医師が右所見に従い、脳梗塞に対応する治療を進め、その一環としてウロキナーゼ、アデホスを使用したことは、医師の裁量の範囲内に属する適切な処置であつたと認められる また、《証拠略》によれば、原告一郎の脳内出血は昭和五七年一月二五日には修復しており、その態様も重大な結果を招来するようなものではなかつたことが明らかであることに照らすと、被告医師の右各薬剤使用が原告一郎の病状を悪化させたと認めることもできない。

四  以上説示の諸事情によれば、被告医師の原告一郎に対する診療には、何ら不法行為の要件としての過失があつたと認めることはできず、また、診療契約に基づく債務不履行もなかつたものと認めるのが相当である。

(裁判長裁判官 小川英明 裁判官 小林 崇 裁判官 松田俊哉)

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